〜日本人の自分と美術〜

美術とは本来人に見てもらうのが前提であり、それを通して何かを感じてもらうものであり、エンターテイメントだと思っている。日本国民の持っている美術のイメージは与えられる情報が偏っている為、作品自体をあまりにも見ていなさすぎる。有名な昔の作家の展覧会には、多くの人が見に行くが無名の若手作家の展示には行くはずもない。もっと、色々な作品がある事も知ってもらいたいし、気楽に同じ時代を生きている作家の作品を見てもらいたいと思う。そんな日本人が持っている美術に対する固定概念を少しでも変える作品をつくっていきたい。

自分としては表現の質にはこだわっているが、スタイルやメディアにものすごく執着している訳ではないので表現しやすい理由から絵画を使って表現している。自分なりのやり方として作品を考えるにあたって一番重要なのがイメージとしてのビジュアルである。そのビジュアルは様々なところからのイメージでもあり、自分が今まで体験したことや見てきた情報でもある。テーマも様々でその時々で異なってくる。そんな様々な情報が錯綜する中から、自分がリアルに感じるものをモティーフとしている。それは、自分自身の感情であったり、自分自身の体の一部であったり、身の回りのものであったり、社会に埋没するありきたりなイメージであったり、人間が持っている根源的な欲求であったり、生と死でもある。ビジュアルソース(雑誌、写真、ビデオ等)からイメージを膨らませ、ただビジュアルが過激であれば良いと言うような表現をするだけではなかなか作品にならない。直接的な作品こそ、案外つまらなかったりもするから難しい。直接的な表現よりも想像力を刺激する表現のほうが、エンターテイメント性が強いように思う。絵画空間とその作品のコンセプトがうまくかみ合うようなインパクトのあるそんなイメージをいかにビジュアルとして定着させるか追求している。後は、その出てきたものに説得力をつけるかであり、作品としての完成度はもちろんの事ながら作品の質についても考えなくてはならない。絵画を表現するうえで必要になってくる基本的な古典技法や材料も研究し、絵画としての質も追求している。

 作品を考えるにあたってどうしても絵画と言うメディアが頭からなかなか離れず表現の幅が狭まっているとも言える。それは、ビジュアルとコンセプトの比重によるところが大きい。ただ、重要なのはメディアではなくいかに作品がエンターテイメントとして人に伝わるかである。さらに、考える時に自分のアイデンティティである日本人としての考えをどうしても省くことが出来ない。だから、あえて日本人としてどのような表現をすれば良いのか日々考えている。今の日本社会は様々な国の文化が入り混じり混沌とした社会でもある。そんな中から日本人の視点で表現を追求したい。

自分が今まで見てきた美術の環境の為なのか、絵の勉強を始めたときは何も疑問にも思わず、西洋の奥行きのある油彩画に憧れを抱きつつ勉強をしていた。日本古来の絵画もアニメも自然と教科書やテレビから見ていた。そんな環境からでしか表現できないものを追求していきたい。興味があるのは自分が今まで見てきた事のあるビジュアルであって、大多数が何処かで見たことのあるような表面的なとても軽い感じのイメージでもある。そんなイメージを使って技術的に空間があるような平面的な絵画空間を表現したい。それは、今の曖昧な現代社会の影響によるところが大きい。